今更ではございますが
丹生谷の別のウェブサイト 上で、はるかかねてよりお約束しておりました昨年秋のパリ旅行のご報告を、遅ればせながらことのついでに。
思い出深い旅でした。旅の先々でとりとめもない思いが脳内を交錯しておりました。
朝市では、米国的スーパーマーケットにはあり得ない活気と市民の食への貪欲なまでの情熱を。商品を得意げに自慢する売り手と吟味する買い手が会話する愉しさを。
エルメスでは、職人の技、丁寧な手仕事の伝統を支えていくためには富裕階層の存在が不可欠であることを。今、フランスの誇る伝統職人芸を辛うじて支えているのはアラブの石油富豪であり、質の低下への足がかりを作っているのはアメリカと日本の小成金であることを。
バカラ美術館でも、同じく美しきものが持つ歴史と伝統のことを。バカラご自慢のレストランでは、残念ながら驕り高ぶることの悲しさ、トレンドなるものの薄っぺらなることを。
シャンパーニュ地方、ルイ・ロデレールでは、きめこまやかな手仕事の価値を。またしても 優れたものを創り出すために富裕階層の存在が必須なることを。 ランス大聖堂、トー宮殿では、宗教と権力がかつて創造し得たものの荘厳なることを。そして二十一世紀の宗教の力尽きた姿を。藤田礼拝堂では芸術家の繊細な感受性と信仰が授ける啓示の意味を。
トゥール・ダルジャンでは、歴史と伝統の持つ力、残ること、遺すことの意味を。
カルティエでは、人が追い求めてきた美を。かつて宣教師フロイスに「日本人は宝石や金銀ではなく古い釜やひび割れた陶器を宝物とする」と言わしめた美意識と価値観の変遷を。
博美の家では、「愛」や「幸せ」ということを。また人は何のために努力するのか、何によって満ち足りるのかを。
それにしてもブルジョワジーではあり得ず、さりとてプロレタリアートでもなく、職業から、おそらくはつましきインテリゲンチァの最下層に属すると思しき我が身が、こうしてかつては富裕階層のみが経験し得たことを経験しているということ自体、なんとまあ天下泰平な世の中でありましょうか。かような時代に生まれ合わせた幸運に感謝しつつ、幸運に甘んじているのではなく、自分なりの「ノブレス・オブリージュ」ということ、自らに与えられた使命のなんたるかを思い巡らさずにはいられません。
パリにあっても、思いは常に日本へと帰ります。郷愁という意味ではなく、滅びつつある日本の美しさ、日本らしさをどう守り、どう伝えていくべきか。そもそも日本人が失いつつある美しさとはなんなのか。自らの使命があるとすれば、その辺りかとも。
しみじみと秋でございます。
« ありがたきこと | トップページ | 取り急ぎご報告 »
「旅行」カテゴリの記事
- 日帰り上洛(2018.03.18)
- パリの朝(2017.06.10)
- 京都教室(2016.03.25)
- おはようございます。(2015.06.13)
- 午餐(2015.06.12)
この記事へのコメントは終了しました。


















コメント