大和しうるわし
四月がそのやさしきにわか雨を
三月の旱魃の根にまで滲みとおらせ、
樹液の管ひとつひとつをしっとりと
ひたし潤し花も綻びはじめるころ、
の一節で始まるのはジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』(桝井迪夫 訳)。「ちょうどそのころ、人々は巡礼に出かけん」と長い旅が始まります。
洋の東西を問わず、花の咲くこの季節は、旅への憧憬が人を駆り立てるものらしい。松尾芭蕉が「春立てる霞の空に」「漂泊の思いやまず」、白河の関を越えたいと奥の細道へと旅立ったのも、旧暦の三月二十七日のことでした。
人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり
織田信長が好んだという幸若舞『敦盛』の一節。夢幻の如き齢五十年をさらに六歳(むとせ)ほど過ぎ、三月二十九日は丹生谷の誕生日とあって、我が魂のふるさと、国のまほろば、青丹よし奈良の都へ、思い切って日帰りの旅に出ました。
早朝、新横浜に向かう東横線の電車の窓から、きらきらと朝日がまぶしく輝く中、満開の桜が、霞か雲か、まぁなんと美しいこと。
敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花 本居宣長
瑞雲もたなびき、これぞ吉兆かと。まずは幸先よき旅の始まりとなりました。
新幹線が田子の浦を過ぎる頃、雪をまとった富士山の白く神々しい姿が現れるもをかし。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける 山部赤人
気象庁の予報では、本日の奈良市の最高気温七度とあって、一応冬支度では来たものの、新横浜を出た時には晴れていた空が、関が原辺りから雲行き怪しく、京都で新幹線を降りたら、ぶるっ、寒いっ。薄曇りの京都から近鉄電車に揺られ、一路奈良へと向かいました。
途中、氷室神社の枝垂桜など愛でながら、まずは阿修羅像を拝まんと藤原氏の菩提寺、興福寺へ。余りに有名なこの阿修羅像は、憂いある表情がまことに美しき面立ち、天平の傑作です。
そして東大寺。何はともあれ大仏様にご挨拶申し上げ、大仏殿から二月堂を回り、三月堂に向かう頃には、曇り空もいつしか晴れ、明るい陽が射しておりました。
三月堂(法華堂)のご本尊は不空羂索観音。端正なお顔立ちで、美々しき冠をいただいたお姿は、あらゆる願いを聞き入れてくださりそうな霊験あらたかなるご様子。日光菩薩、月光菩薩の上品な風情にもうっとりいたしました。
三月堂から一歩外に出ると、あらびっくり、ぱらぱらと雨が降っております。雲間には陽が射して、いわゆるお天気雨、「狐の嫁入り」です。
戒壇院の四天王像も見ておきたい、と大仏殿の方角に戻る途中、先程からのにわか雨が突然みぞれに変わり、白くはらはらと散りはじめました。空はと見れば、南はどんよりと厚い雲、北の空には雲間に青い空が覗いています。
空さむみ 花にまがへて散る雪に少し春ある心地こそすれ 清少納言/藤原公任
あの厚い灰色の雲の上では、大きな龍がゆっくりと徘徊りながら、下界の誰かを探しているに相違ない、と想像させる摩訶不思議な雲です。しまった、丹生谷の旅、龍神様に気づかれていたかしら。
なぜかフレンチの午餐を終える頃には雨も止み、晴天のもと、藤原氏の氏神様、 春日大社 に。
春日大社は丹塗りの色がなんともあでやか、雅びで、丹生谷が一番好きな神社です。砂ずりの藤ばかりではなく、境内には藤の巨大な古木がそこここに見られ、四月末の花の季節には、むせぶほどの香に包まれた、つややかな絵巻物の光景となります。
画像でも陽の射しているのがおわかりいただけるはずですが、この後、境内をめぐっている間に、またもや雨がぽつんぽつん、と。
春日大社から志賀直哉旧邸まで、徒歩十五分ほどを行く途中、だんだん本格的な降りになり、雲がいよいよ厚く空を覆ってしまいました。このまま止みそうにもなく、志賀旧邸で傘を拝借。
志賀邸から 新薬師寺は徒歩十分ほどでしょうか。降りしきる雨の中、冷え切った体で凍えながらたどり着きました。
十二神将像はそれぞれにいきいきと表情豊かで、まことに見事です。丁寧に拝観した後、冷たくなった体を温めようと、別室で火鉢に当たりながらおぜんざいなどいただいておりましたら、やがてまた雨は止み、空が明るく晴れてきました。龍神様はあきらめて去って行かれた様子です。
帰りは奈良町をゆっくりと愉しみつつ、骨董商など冷やかしながら、駅へ。
この町には庚申信仰が今なお息づいていて、家々の玄関先には左画像のような「庚申さん」がぶら下がっています。右は魔よけの柊といわしの頭。こちらも家々の軒先に見られます。「いわしの頭も信心から」ですね。
雨にも負けず、雪にも負けず、役の行者ならぬ身で、ひたすら歩き、歩いた一日。奈良はどこもかしこも馬酔木が満開でした。馬酔木も梅も連翹も桜も木蓮も、今を盛りと一斉に咲き競い、雨も雪もみぞれも太陽も、こちらもここぞとばかりに一斉に空で競い合い、美しい仏像の数々も堪能し、豪華絢爛、充実した一日、花と仏像の大和を満喫いたしました。
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