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2008年9月の2件の記事

2008年9月28日 (日)

薯童謠、朱蒙、大化改新。

『宮廷女官チャングムの誓い(原題『大長今』)』の余韻に身を委ねるうちに、朋あり遠方より来たりて、『薯童謠』のDVDを拝借することに。また楽しからずや。

百済と新羅、敵国同士の王子と姫の許されない愛の物語は、勧善懲悪、貴種流離譚、復讐あり、活劇あり、夢あり、理想あり、権力争いあり、悲恋あり、と娯楽演劇のあらゆる世俗的要素がふんだんに盛り込まれ、丹生谷の趣味嗜好から申しますと、まずまず極上のできかと。

何しろ、有吉佐和子著『真砂屋お峰』級(当社比)の涙腺刺激型、まっすぐ一直線ひたむき一途の相思相愛、正統派純愛物でございまして。『大長今』と同じ脚本家、演出家の作品だそうですが、前作よりかなり甘めの味つけでございました。

貧しい民として育った主人公が、愛に支えられ、数多の試練を乗り越えて、ついに百済王として即位。民のために国を豊かにすることを志し、土地改革や税制改革、水田の開発、灌漑施設の完備などの国策を掲げ、さらなる困難や障害に立ち向かいながらも信念を貫き、貴族の権力に牛耳られていた国家体制を立て直していく。まことによくできたお話でございます。

かように清く正しき志に燃えたまつりごとが、現実の世にもあらまほしきものですこと。

和辻哲郎著『日本精神史研究 』(岩波文庫)によれば、「まつりごと」は本来「祭事」であって、祭事は支配階級の利益のためではなく、民衆にとってこそよかれと行われたもの。庶民の生活とは無関係な、権力や私利私欲のせめぎ合いであってよいはずがありません。

このたび首相になられた御大も、十七条の憲法の精神に立ち返り、民が平和に豊かに暮らせる国を再建するためのまつりごとを志してくださいますよう、祈念いたしております。

さてさて、『薯童謠』を堪能した後は、こちらで『朱蒙』。すでに古代史にどっぷり浸かってしまったこの身、高句麗を建国した伝説の英雄、東明聖王の物語と聞いては、今さら逃れようもございません。

一日は二十四時間、すでにフル回転している丹生谷としては、延々八十一話も続く『朱蒙』を観る時間を捻出するには、睡眠時間を大幅に削るしかない。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり。この際、睡眠時間を削ってでも観てしまおう、と観始めてしまいました。

本題からは外れますが、『朱蒙』関連でひと言言わせてくださいませ。

時事通信によれば、去る二十二日、常用漢字の見直しを進めている文化審議会の漢字小委員会が、「私」の訓読みに「わたし」を追加するか、現行の「わたくし」と入れ替えるかなど、読み方を議論したそうな。

また「蒙」は、使用例が「蒙古」という固有名詞に片寄っていることなどから、常用漢字にふさわしくないと判断、外すことに決めたらしい。 

文化審議会漢字小委員会とは名称ばかりは立派そうですが、さぞや「公」と「私」の区別もつかない、広く一般を啓蒙しようなんて気はさらさらない、軽薄なお歴々の集まりでありましょうな。

軽く揶揄してみただけのことですので、お気になさらず。

さて、『朱蒙』も三分の一程を観終わったところで、高句麗の祖とされる朱蒙(チュモン)の伝説を、かくもドラマティックに構成し、現代人好みの娯楽歴史物語に仕立て上げ、国内の視聴率はもちろん、外貨をも稼ぎ、さらには観る人の愛国心を育て、自国の歴史に誇りを持たせることに成功した脚本家並びに演出家に脱帽いたしました。『大長今』然り、『薯童謠』然り。

大長今も薯童謠も朱蒙も、いずれも、韓民族の歴史に名を残した英雄や女丈夫の物語です。

日本にだって、日本武尊、聖徳太子、天智天皇、天武天皇と、語って聞かせたい建国の英雄の物語はいくらでもあります。

「愛国心」と言っただけで、右翼扱いされかねない、愛国心が欠落したこの国で、未来への希望や母国への誇りを持てない現代の無気力な若者たちに、かつて建国の理想に燃えた若者たちが、いかにこの国を築き、歴史を作ってきたかを語ってやってほしい。

NHK様、よその国のドラマを輸入して、視聴率を稼いでいる場合でしょうか。日本の古代を描いた正統派の歴史ドラマを真剣に制作なさってみてはいかが。

たとえば、聖徳太子に始まり、乙巳の変、白村江の戦い、壬申の乱を経て、天武天皇の治世、大宝律令に至るまでの物語。脚本と演出と出演者次第ではありましょうが、視聴者の心を打つ、民族の誇りを呼び覚ますような歴史ドラマの材料が揃っているではありませんか。

NHKドラマが駄目なら任天堂のゲームでもいい。宮崎駿のアニメでもいい。

あれやこれや、この国のためにと、ない知恵を絞り、思いをめぐらせておりましたら、ややっ、AmazonにてNHKドラマスペシャル『大化改新』と『聖徳太子』のDVDを発見。

丹生谷の思いつく程度のことは、既にどなたかが考えていらしたということでしょうか。

何を目指したどのような作品やら、この目で確認せねば、と、即、Amazonで購入手続きを取りました。

いつになるやらわかりませぬが、観終えました折には、ここでご報告いたしましょう。

今宵はこれにて。

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2008年9月18日 (木)

正座、韓流、日本書紀。

丹生谷の不得手のひとつに、正座がございます。

二十歳そこそこの若輩でしたら「正座できないんです」などとのたもうても許されましょうが、齢を重ねて正座の姿勢が保てないのは見苦しいことで。

「左右の親指を重ねれば楽」なんてお気楽なことをおっしゃる方もおいでですが、親指が重ねられるくらいなら、苦労はございません。

しびれが問題なのではなく、まず足の甲が痛くなり、そのままの姿勢を維持しておりますと、やがて四六の蝦蟇さながらに脂汗が滲み出てまいります。

かような拷問にも似た座り方を「正座」と呼び、正式な場でこの座り方を義務づけることに、いかなる意義があるものか。

お上から庶民まで、この座り方をするようになったのは、少なくとも江戸時代以降のことと思われます。

検証一。高台寺に伝わる豊臣秀吉像をとくとご覧あれ。笏を手にした束帯姿にあぐら。足の裏を合わせています。伝源頼朝像も然り。あぐらが、男子の第一正装にふさわしい正式な座り方であった事実を物語っています。

ちなみに、あぐらを「胡坐」と書くのは、胡瓜、胡麻、胡桃などと同様、遠い昔、西域の民族より伝わったものと思われます。

検証二。同じく高台寺は北政所高台院の像並びに肖像画をご覧あれ。いずれも、お数珠を片手に右膝を立てた、立て膝の構えです。正装にふさわしい婦女子の正しき座り方は、立て膝であったに相違ありません。

光明皇后も、定子中宮も、式子内親王も。かつて、やんごとなき方々は緋袴の下で、立て膝でいらしたのです。お隣の韓国では、今でも女人は膝を立て、あるいはあぐらをかいて座るそうです。

という話題から、過ぎにし初夏の某日、受講生のおひとりが
「韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』では、女官も王様の前で、片膝を立てたりあぐらをかいていました。パソコンでもご覧になれますよ」
とギャオなる無料動画サイト(現在は韓国ドラマサイトKOREAN TIMEで視聴可能)をご紹介くださいました。

テレビは一切見ない丹生谷ですから、これまで韓国ドラマとは無縁に過ごしておりましたが。その夜、半信半疑で『宮廷女官チャングムの誓い』を鑑賞。これをきっかけに、ひと際燃える夏を迎えることになろうとは、まこと、神の思し召しか、御仏のお導きでありましょうか。

何しろ、この『大長今』(原題)。十六世紀初頭、李朝宮廷を舞台に展開する一女官の出世劇なのですが、ドラマとしての卓越したできばえに加えて、座り方に始まり、食事作法、挨拶などの生活習慣はもちろん、衣食住にまつわる風俗諸礼やら言語やら、とにかく興味が尽きない。ブログの更新も放棄して、『大長今』の更新を愉しみに、最終回まで夢中で観てしまいました。

言語ひとつとっても、倭国と朝鮮半島の歴史にあれこれ思いが巡ります。

劇中、「この件はうやむやにしてしまおう」というような台詞があったのですが、はっきり「ウヤムヤ」と言っている。えーっ、「うやむや」って漢語ですかっ、と辞書を引いてみたら、おおっ、「有耶無耶」とあるではないか。ひとつ賢くなりました。

どちらも中国文化圏ゆえ、漢語の流用語彙を共有しているのは当然のことですが、語彙以外にも、文の構成、語感、音の響きなど、ぼんやり聞いていると、訛りの強い方言と思える程度に、よく似ている。

大野晋氏が『日本語はいかにして成立したか』に、日本語と朝鮮語の関係について書かれていたことを思い出し、書棚に埋もれていた文庫本を発掘。

なるほど、なるほど。以前はさらりと読み過ごしていた文章が、立体的に理解できるような気がして、両言語、両文化の関連に、興味が倍増いたしました。

朝鮮語は日本語同様、擬態語が多いそうです。『日本語はいかにして成立したか』によれば、水はチョルチョル流れ、風はサルサル吹くらしい。共通の言語感覚が感じられませんか。

『大長今』で、言語を中心に日韓の歴史に目覚め、その余韻で、次は『薯童謠〔ソドンヨ〕』に突入。こちらは時代をさらに遡り、西暦六百年頃を背景にしたドラマ。韓国に伝わる百済武王の伝説を題材に描き出された恋の物語です。

「百済の王子と新羅の姫の運命の愛」だなんて、いかにも俗っぽい解説に、どうしたものか妙に反応いたしまして。ちょっとだけ」と観てみたら、これがまた、演出が巧い。ついつい見入ってしまう羽目に。

奈良の石上神宮に、紀元四世紀後半、「百済王から倭王に贈られた」との銘文が入った国宝「七支刀」が伝わっております。前述の『日本語はいかにして成立したか (中公文庫)』にも、第一期渡来人、漢人の子孫がもたらした刀として、写真付きで紹介されております。

劇中、儀式の場面になると、この七支刀が登場して、「こういう使い方をしたのかしら」とわくわく。衣装やら、装飾品やら、道具やら、風俗やら、時代考証はさておき、豪華絢爛な演出に、「日本もこうだったのかしら」と想像をかきたてられ、前頭葉が古代史にぐいぐいと引っ張られて、前のめりになっていく感触。

倭国と高句麗、新羅、百済の三国の歴史にますます関心が高まり、『日本書紀』を改めて紐解きました。

七支刀の銘文については、諸説ございまして。日本側は、『日本書紀』の記述から、属国であった百済が倭国に「献上」したものと解釈、韓国側は、百済が属国の倭国に「下賜」 したものだと主張。

歴史解釈における見解の相違ですが、結局のところ、対等の独立国である両国が、軍事同盟を結んだ記念に百済から倭国に贈られた、という結論で、この論争は一応落ち着いたようです。

広開土王碑についても、「新羅・百済は高句麗の属民であり、朝貢していたが、倭が辛卯年、○を渡り、百済を○○、新羅を破り、臣民とした」即ち、「高句麗の属国であった新羅・百済が倭国の支配下になった」とある碑文は、大日本帝国陸軍が改竄、捏造したものという理不尽な説がかつてあり、こちらは先年、ようやく解決いたしましたが。

いやはや。竹島問題については、日本国固有の領土ということで、ご納得いただきたいものです。

日韓問題はさておいて。

正座から、韓国時代劇へ、そして『日本書紀』へ。丹生谷の熱い夏の物語、さらに続きますが、今宵はこれにて。

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