古今酔態
寛弘五年、西暦では一千八年、一千と一年もの遥か昔のことでございます。
この年の霜月一日、左大臣藤原道長様の土御門邸では、公卿や殿上人が招かれ、盛大なる宴が催されておりました。
一条天皇の女御として入内させ、先に中宮であった定子様を蹴落とし、中宮と改めさせていたご長女彰子様が、入内後九年にして第二皇子敦成親王をめでたくご出産。若宮のご誕生後五十日目の祝宴とあっては、まことに語り尽くせぬほどのめでたさでございます。
この宴の席で左衛門の督藤原公任様が「あなかしこ、このわたりにわかむらさきやさぶらふ(おそれいりますが、この辺りに我が紫の君はおいででしょうか)」と問われたと『紫式部日記』にあることから、昨年、西暦二千と八年が「源氏物語一千年紀」とされたことは周知の如くでございます。(「若紫」と解する説もございます。}
得意の絶頂にあった道長様を囲んだ華やかなる宴の様子は、紫式部が書き残した日記から窺い知ることができます。
右大臣顕光様、内大臣公季様は共に「酔ひみだれてののしり給ふ」。あらあら、次席大臣にしてこれですか。
顕光様は、「御几帳のほころびを引き断ち乱れ給ふ」。几帳のほころび、後で繕わせますので、どうぞ引っ張らないでおいてくださいませ。しかも「さだ過ぎたり(いい歳をして)」と言われるのを無視して、女房相手にはしたない戯れ言などおっしゃっていらしたご様子。
公季様、礼儀正しいご子息が父の前をはばかって下座から進んだことに「酔ひ泣きし給ふ」って、かなりの泣き上戸でいらしたのですね。
後に右大将となり「賢人右府」と称されたほどの有識者でいらした権大納言実資様は、女房たちの衣装の裾や袖口の重なりを数えていらしたとは、賢人らしくもない他愛なさ。やはりお酒のせいでしょうか。
権中納言隆家様。定子様の弟君でいらっしゃいます。清少納言がご贔屓のぼんぼん兄君伊周様とはご性格が異なり、丹生谷好みの気骨のある御仁であらせられますが、この宴では隅の柱によりかかって、女房の袖を引いたりなさっていらしたようで。
「おそろしかるべき夜の御酔ひなめりと見て」、紫式部は今一人の女房と申し合わせて隠れようと御帳の後ろに逃れるのですが、道長様にみつかってしまい、「和歌を仕うまつれ(詠め)」「さらばゆるさむ」と詰め寄られます。とっさに、
いかにいかがかぞへやるべき八千歳のあまり久しき君が御代をば
八千歳にも余りある若宮の御齢をどうしてどのように数えることができましょうか。
「五十日(いか)」を読み込んだ辺り、さすがは紫式部、酔っ払いに詰め寄られての即興にして、これです。
「あはれ(あっぱれ)」と感じ入った道長様も即興で返します。
あしたづの齢しあれば君が代の千歳のかずもかぞへとりてむ
千年生きるという鶴の齢さえあれば、若宮の千年の御齢を数え取ることもできよう。
我が国の大臣の酔態には一千年の歴史と伝統がございますようで。
とは言え、道長様ほか寛弘の官僚のお集まりは、もとよりめでたき祝宴、酒宴ゆえ、酔態も自然の成り行きとも申せましょう。誰に憚るものでもございません。
酩酊して女房に絡みつつも、即興で和歌を詠むだけの知性と分別を失っていないのは、教養の差、才覚の開き、器量の違い、時代の隔たりもございましょうか。
嘆かわしきことの多き、平成二十一年の日本でございます。
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