今は昔
平成十三年霜月朔日。
今は遠い昔。
ひんやりと清げなる風の冷たさも心地よく、駅前の銀杏並木もにわかに色づきて、金色の木の葉のほろほろとこぼれ落つるほどに、「山の紅葉はいかならん」「いざ行きて見ん」とて、霜月朔日、下野は日光にまかりいでぬ。
北のかたへと車走らせて下野にいりて、昼つかた東照宮に詣でぬ。常にても極彩色に輝きたる陽明門の光に満ちたるさま、晩秋の空に美々しく映へわたりてえもいはず艶なり。
見ざる聞かざる言わざるを思ひ、薬師堂にて龍の鳴くを聞きしのちは、秘仏の薬師如来に向かひ手をあわせ拝みて、おんころころせんだりまとうぎそわか、ばてれんの身なれども神も御仏も隔てなければ、げにありがたき心地こそすれ。
庭園をそぞろ歩けば、木立ち多かる中、楓の紅濃くもみぢたるさま、いみじうあてなり。さも美しうもみぢては散りゆくいのちこそ、あはれにをかしけれ。
昼下がり、霧の濃きいろは坂を越へ中禅寺湖にいでぬ。風の冷たき中、散りつもりたる木の葉を踏み歩くほどに、かさかさと乾きたる音、落ち葉の匂ひなどほのかにして、往ぬる秋の趣きこそすれ。
やがて日も暮れなんとすれば、空もたなびく雲も湖の面もすべて薄紅に染まりて、日の入りはてぬれば、やうやう薄墨に染まりゆくもをかし。
日光へくだる道すがら、仰ぎ見れば、山の端にさしいでたる月のやうやういづるほどに、明かく澄めることいとめでたし。月を愛でる心の千歳の昔より変はらざりけるこそをかしけれ。十六夜の月なれど太陽暦にては朔日とはなん、あさましき。
今宵も同じ十六夜、そしてお朔日。
晩秋なのに、春ではないのに
心に浮かぶ歌は
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして
在原業平
いや、秋も月も変わってはいない。
我が身ひとつが
もとの身ではないかも。
令和二年霜月朔日。
風の冷たさが肌に心地よく、
駅前の銀杏並木は色づいています。
秋も深まってまいりました。
おはようございます。
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