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玉関にて長安の李主簿に寄す
岑參
東長安を去ること万里の余
故人那(なん)ぞ惜しむ一行の書
玉関西望すれば腸断つに堪へ
況んや復た明朝是れ歳除なるをや
拙訳:
東の長安を去って
はるか一万里余りの地にいる。
古き友よ、どうして
一行の手紙を書き惜しむのか。
玉門関からさらに西の地を望めば、
はらわたのちぎれる思いだ。
ましてや明日は
年の暮れだというのに。
師走の恒例
【筆で年賀状を書く講座】も
一昨日のzoomで仕事納め。
紺屋の白袴、医者の不養生とやら、
自分の年賀状は手つかずのまま
昨夜は師走の月を愛で逍遥。
今日こそはなんとしても書き終えないと。
「復た明朝是れ歳除なるをや」
(まして明日は年の暮れだというのに)!
おはようございます。
冬至 杜甫
年年至日長に客と為り
忽忽たる窮愁人を泥殺す
江上の形容吾独り老い
天涯の風俗自ら相親しむ
藜を杖いて雪後丹壑に臨む
玉を鳴らし朝来紫宸を散ず
心折れて此の時一寸無し
路迷う何れの処か是れ三秦
拙訳:
毎年冬至を旅人として迎えている。
窮して深い愁いが私を苦しめる。
長江のほとりで一人老いて
異郷の風俗にも自ら親しむようになった。
雪の後、杖をついて赤土の谷を見下ろす。
都では佩玉を鳴らしながら
臣下たちが紫宸殿を退席していることだろう。
心は折れてこの時一寸の大きさすらない。
都長安のある三秦はどこなのか、
もう道もわからない。
冬至の詩を、と思ったけれど
杜甫先生、かなり弱気です。
今は昔、
心が折れかけていた私に
ばねは押しつぶされた力の分だけ
強く高く跳ね上がると
励ましてくれた人がいました。
多くの人の
たくさんの言葉に励まされて
今の私があります。
一陽来復。
陰の気がついに極まって
ふたたび陽の気に向かい始める朝。
杜甫先生、
窮愁だの心が折れるだなんて
弱気な言葉を詠ってはいけません。
一陽来復!と
お心を強くお持ちくださいませ。
自宅のサロンを教室として
もろもろをお教えすることを
かれこれ三十年近くも
続けておりますと
お母様とお嬢様とが
門下にお入りくださることもございます。
これまでに五組の二世代門下生が
おいでくださり、
私をご信頼いただいてのことと
教える身としては
冥利に尽きる思いでおります。
そして今回、なんと三代目!
五歳のお嬢ちゃま♡のご指導を
させていただくことになり
昨日が初レッスンでした。
これから一年、
愉しみながら
ご指導させていただきます♡
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