雪
今は遥か昔。
二月もつごもりというのに
肌を刺す風が吹いて
空は雲に覆われ
雪が少し降っていた朝のこと。
「公任の宰相殿から」と
主殿寮の役人が
手紙を持ってまいりました。
公任様と言えば
抜群の詩才と教養で知られる
殿上人でいらっしゃいます。
何かしら
とおそるおそる開いてみると
懐紙に見事な筆で
「少し春ある心地こそすれ」
とございます。
「春が少しだけある心地がする」
唐の詩人、白楽天の詩
「三時雲冷やかにして多く雪を飛ばす
二月山寒うして春有ること少なし」
を踏まえているのですね。
まるで今朝の空
そのままではありませんか。
下の句を詠みかけて
上の句を詠み返せよ、
という趣向でございます。
言葉遊びは得意分野ではあるけれど、
公任様に試されるなんて
正直、ちょっと荷が重い。
公任様のほかには
どなたがいらっしゃったかと
使者に問えば、
名だたるお歴々ばかりが
お揃いのごようす。
相手が相手だけに
通り一遍の下手な返しでは
すまされません。
定子様にお伺いしようにも、
帝がおわたりあそばされ、
例の如くお二人で睦まじく
ご寝所におこもりでいらっしゃる。
あくまでも遊びなのですから
下手に時が経っては興醒めです。
えーい、なるようになれだわ。
「空さむみ花にまがえて散る雪に」
これでどうかしら。
寒さにかじかんで震える手で
書いてはみたけれど、
どう評価されるものか、どきどき。
「寒空から花が散るように
はらはらと散る雪に」
短い上の句に
白氏文集が出典だということも
「心得ております」
とさりげなく匂わせた上で
なおかつ
散る雪を白い花に見立てることで
「少し春」に落とし込む。
なかなかどうして、
我ながら、即興としては
絶妙のできばえ。
こういう知的遊戯って
刺激的で、わくわくいたします。
内心かなりの自信があるものの、
とにかく相手はかの公任様ほか、
教養あふれる殿上人の方々でいらっしゃる。
結果は、ご想像の通り。
殿上人の間で大評判だったとか。
ま、どうってことでも
ございませんけれど。
『枕草子』百六段
「二月つごもりごろに」より
拙訳でございました。
空さむみ花にまがえて散る雪に
少し春ある心地こそすれ
寒空から花が散るように
はらはらと散る雪に
春が少しだけある心地がする。
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