人間の四月
定子中宮様が御父君の服喪中、
朝所で過ごされた七夕の折のことなんだけれど。
宰相の中将斉信様が、中将の源宣方様、
少納言の源道方様とご一緒に訪ねていらして。
女房たちが端近に出て応対していたところに
いきなり
「明日はどんな詩を吟じられるのかしら」
と問いかけてみたの。
斉信様はほんのちょっとためらって、
すぐに
「人間の四月だね」
とお答えになったのが、
もうほんとに「をかし」。
過ぎたことなんかを心得ていて言うのは
誰だって「をかし」だけれど、
女は特に過去を忘れないものよね。
男はそうでもない、
自分が詠んだ歌だってうろ覚えだったりするのに、
斉信様ったら、最高に「をかし」だわ。
御簾の内の女房たちも外の殿上人も、
「なんのことだか、ちっともわかんない」
って顔してるのも無理ないの。
四月の初め頃、
内裏の細殿に殿上人が大勢いらしてたんだけれど。
それがだんだん一人ずつ退出されて
斉信様と宣方様と蔵人一人だけが残って、
おしゃべりしたり歌を詠じたりしていたのね。
斉信様が
「露は別れの涙なるべし」
なんて菅原道真の詩を吟詠し始められて、
宣方様も一緒に
趣深く誦じたりなさったんだけれど。
これって、織姫と彦星の別れの朝の詩ですもの、
「気の早い織姫ですこと」
って、申し上げてみたのよね。
もう、斉信様の悔しがったことったら。
「ただ暁の別れというだけで
思いつくままに口にしたのに。
いやんなっちゃうなぁ。
この辺りじゃ、この類のことを
よく考えずに口にすると
恥をかくんだから」
とお笑いになって
「人に話しちゃいけませんよ。
笑いものにされちゃうな」
とおっしゃって、
外が明るくなってきたので
「退散しなくっちゃ」
と逃げるようにお帰りになったの。
「七夕の折にこのことを申し上げたいわ」
と思っていたものの、
その後、斉信様が参議になられて、
七夕にお目にかかれそうにない。
「その前後にお見かけすればよし、
そうでなければお手紙を書いて、
主殿寮に持たせようかしら」
なんてもくろんでいたら、
ちょうど七月七日にいらっしゃったので
もう嬉しくて、
「あの夜のことなんか申し上げても、
おわかりになるかしら。
ただいきなり申し上げても
変なのって妙に思われるかしら。
そうしたらあの日のことをお話しよう」
なんて思ってしたことなのに。
少しも迷わずお答えになったのは、
ほんとうに「をかし」だわ。
拙訳
『枕草子』第百五十五段「故殿の御服の頃」より
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