丹生谷の不得手のひとつに、正座がございます。
二十歳そこそこの若輩でしたら「正座できないんです」などとのたもうても許されましょうが、齢を重ねて正座の姿勢が保てないのは見苦しいことで。
「左右の親指を重ねれば楽」なんてお気楽なことをおっしゃる方もおいでですが、親指が重ねられるくらいなら、苦労はございません。
しびれが問題なのではなく、まず足の甲が痛くなり、そのままの姿勢を維持しておりますと、やがて四六の蝦蟇さながらに脂汗が滲み出てまいります。
かような拷問にも似た座り方を「正座」と呼び、正式な場でこの座り方を義務づけることに、いかなる意義があるものか。
お上から庶民まで、この座り方をするようになったのは、少なくとも江戸時代以降のことと思われます。
検証一。高台寺に伝わる豊臣秀吉像をとくとご覧あれ。笏を手にした束帯姿にあぐら。足の裏を合わせています。伝源頼朝像も然り。あぐらが、男子の第一正装にふさわしい正式な座り方であった事実を物語っています。
ちなみに、あぐらを「胡坐」と書くのは、胡瓜、胡麻、胡桃などと同様、遠い昔、西域の民族より伝わったものと思われます。
検証二。同じく高台寺は北政所高台院の像並びに肖像画をご覧あれ。いずれも、お数珠を片手に右膝を立てた、立て膝の構えです。正装にふさわしい婦女子の正しき座り方は、立て膝であったに相違ありません。
光明皇后も、定子中宮も、式子内親王も。かつて、やんごとなき方々は緋袴の下で、立て膝でいらしたのです。お隣の韓国では、今でも女人は膝を立て、あるいはあぐらをかいて座るそうです。
という話題から、過ぎにし初夏の某日、受講生のおひとりが
「韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』では、女官も王様の前で、片膝を立てたりあぐらをかいていました。パソコンでもご覧になれますよ」
とギャオなる無料動画サイト(現在は韓国ドラマサイトKOREAN TIMEで視聴可能)をご紹介くださいました。
テレビは一切見ない丹生谷ですから、これまで韓国ドラマとは無縁に過ごしておりましたが。その夜、半信半疑で『宮廷女官チャングムの誓い』を鑑賞。これをきっかけに、ひと際燃える夏を迎えることになろうとは、まこと、神の思し召しか、御仏のお導きでありましょうか。
何しろ、この『大長今』(原題)。十六世紀初頭、李朝宮廷を舞台に展開する一女官の出世劇なのですが、ドラマとしての卓越したできばえに加えて、座り方に始まり、食事作法、挨拶などの生活習慣はもちろん、衣食住にまつわる風俗諸礼やら言語やら、とにかく興味が尽きない。ブログの更新も放棄して、『大長今』の更新を愉しみに、最終回まで夢中で観てしまいました。
言語ひとつとっても、倭国と朝鮮半島の歴史にあれこれ思いが巡ります。
劇中、「この件はうやむやにしてしまおう」というような台詞があったのですが、はっきり「ウヤムヤ」と言っている。えーっ、「うやむや」って漢語ですかっ、と辞書を引いてみたら、おおっ、「有耶無耶」とあるではないか。ひとつ賢くなりました。
どちらも中国文化圏ゆえ、漢語の流用語彙を共有しているのは当然のことですが、語彙以外にも、文の構成、語感、音の響きなど、ぼんやり聞いていると、訛りの強い方言と思える程度に、よく似ている。
大野晋氏が『日本語はいかにして成立したか』に、日本語と朝鮮語の関係について書かれていたことを思い出し、書棚に埋もれていた文庫本を発掘。
なるほど、なるほど。以前はさらりと読み過ごしていた文章が、立体的に理解できるような気がして、両言語、両文化の関連に、興味が倍増いたしました。
朝鮮語は日本語同様、擬態語が多いそうです。『日本語はいかにして成立したか
』によれば、水はチョルチョル流れ、風はサルサル吹くらしい。共通の言語感覚が感じられませんか。
『大長今』で、言語を中心に日韓の歴史に目覚め、その余韻で、次は『薯童謠〔ソドンヨ〕』に突入。こちらは時代をさらに遡り、西暦六百年頃を背景にしたドラマ。韓国に伝わる百済武王の伝説を題材に描き出された恋の物語です。
「百済の王子と新羅の姫の運命の愛」だなんて、いかにも俗っぽい解説に、どうしたものか妙に反応いたしまして。ちょっとだけ」と観てみたら、これがまた、演出が巧い。ついつい見入ってしまう羽目に。
奈良の石上神宮に、紀元四世紀後半、「百済王から倭王に贈られた」との銘文が入った国宝「七支刀」が伝わっております。前述の『日本語はいかにして成立したか (中公文庫)
』にも、第一期渡来人、漢人の子孫がもたらした刀として、写真付きで紹介されております。
劇中、儀式の場面になると、この七支刀が登場して、「こういう使い方をしたのかしら」とわくわく。衣装やら、装飾品やら、道具やら、風俗やら、時代考証はさておき、豪華絢爛な演出に、「日本もこうだったのかしら」と想像をかきたてられ、前頭葉が古代史にぐいぐいと引っ張られて、前のめりになっていく感触。
倭国と高句麗、新羅、百済の三国の歴史にますます関心が高まり、『日本書紀
』を改めて紐解きました。
七支刀の銘文については、諸説ございまして。日本側は、『日本書紀
』の記述から、属国であった百済が倭国に「献上」したものと解釈、韓国側は、百済が属国の倭国に「下賜」
したものだと主張。
歴史解釈における見解の相違ですが、結局のところ、対等の独立国である両国が、軍事同盟を結んだ記念に百済から倭国に贈られた、という結論で、この論争は一応落ち着いたようです。
広開土王碑についても、「新羅・百済は高句麗の属民であり、朝貢していたが、倭が辛卯年、○を渡り、百済を○○、新羅を破り、臣民とした」即ち、「高句麗の属国であった新羅・百済が倭国の支配下になった」とある碑文は、大日本帝国陸軍が改竄、捏造したものという理不尽な説がかつてあり、こちらは先年、ようやく解決いたしましたが。
いやはや。竹島問題については、日本国固有の領土ということで、ご納得いただきたいものです。
日韓問題はさておいて。
正座から、韓国時代劇へ、そして『日本書紀』へ。丹生谷の熱い夏の物語、さらに続きますが、今宵はこれにて。
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