眼福ここに至れり
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君子は南面するそうですが、俗人の住まう我が庵は北側が入り口、故あって大通りに面しております。
大通りを隔てて正面に見える桜もそろそろ見頃。出入りするたびに眼福にあずかっております。
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夜来風雨の声。雨が降っても風が吹いても、桜のことが気にかかります。
でも。
雨よ降るな、風よ吹くな、と祈るのは人の心。
桜は、冬の間じっとたくわえていた命の力を
思い切り花と咲かせ、惜しみなく散るばかり。
潔く咲いて、潔く散っていく。
散ればこそいとど桜はめでたけれ
うき世になにか久しかるべき 在原業平
花発(ひら)けば風雨多し
人生別離足る 于武陵
花に嵐のたとえもあるさ
さよならこそが人生だ 井伏鱒二訳
まだ咲きはせぬか、と待ちわびて、
咲けば咲いたで、どうぞ散ってはくださいますな、と。
人の心は落ち着かぬ花の季節でございます。
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駅までの道で。梅の古木が、風に震えながら、枝一杯に濃き紅の花を咲かせていました。陽あたりがいいせいでしょうか。この梅はいつも、どの木よりも早く春を歌いだします。
同じ道で。産毛に包まれた白木蓮のつぼみが、心なしか数日前よりふくらんでいるように見えました。
我が庵の紅梅「なにはづ」も、日毎につぼみをふくらませています。
佐保姫様のおなりも間近ですね。
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雨上がり。しっとりと湿った風が、どこからか甘い香りを運んできます。梔子(くちなし)がつやつやとした象牙色の花を開いているのですね。
雨の季節の花は、彩りでは一に紫陽花。鉄線や菖蒲の紫も薄曇りの空に映えます。
香る花は一に梔子。橘もこの時期に香り高い花を咲かせますが、残念ながら、東京ではあまり見かけることがないようです。
帰り来ぬ昔をいまと思ひ寝の夢の枕に匂ふたちばな 式子内親王
過ぎた昔が帰るものなら、と思いつつ寝ると、昔のままの夢を見た。はっと目が覚めれば、夢はただの夢。枕辺に夢の残像のように、懐かしい橘の香りがうっすらと漂っている。
なんとも耽美的にして幽玄な一首。透き通るような美しさは、まさしく新古今和歌集の世界です。
あえかなため息のように、はかなく繊細な歌風が持ち味の式子内親王の和歌。数多く残された歌の中でも、丹生谷のお気に入りの一首です。
橘の香りはかつての恋人の「袖の香」なのです。古今和歌集の古歌、
さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人知らず
を前提にしていることは、申しあげるまでもありませんね。「花橘」の古歌は、本歌取りされることの多い歌です。
いつの世も、花の香りは心の糸を掻き立てるもののようです。
香りで遠くからもそれと知られる花は、春まだ浅き頃の梅、沈丁花、春を惜しむ頃には藤、初夏に咲く梔子、秋の金木犀。
どれも甘い花の香りですが、その甘さもそれぞれです。
梅は凛とした気品のある清々しい甘さ。
沈丁花は可愛らしい清純な甘さ。
藤はしっとり艶な風情の大人の色香。
梔子は思春期の少女のような甘ったるさ。
金木犀はすっきりと、透き通った香り。
雪柳の香りは、梅かと紛うほど梅によく似ていますが、梅ほど遠くまでは香りません。
薔薇や百合は室内ではむせぶまでに甘く香るのに、青空の下では、藤の花のように妖しいほどに広がらないのは不思議です。
雨上がりの濡れた空にたちこめる梔子の甘い、誘うような香り。雨の季節も、いとをかし、ではありませんか。
薄月夜花くちなしの匂ひけり 正岡子規
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あじさ~い~♪
とここは、ミュージカル『南太平洋』より、「バリハイ」の節で歌ってくださいませ。「バリハイ」をご存じなくば、詮方なきことにて、ご放念くださいますよう。
今日も雪谷までお散歩の道すがら、花を愛でたりなどして。
環八沿いガードレール下の狭い地面に植えられた紫陽花ながら、水彩画やパステル画にも似た穏やかで優しい色合いは、思わず足をとめるほどに美しゅうございました。自然の技は、かくも大胆にして繊細なり。
なんて爽やかで涼しげな彩りでしょう。布が藍甕をちょっと覗いただけのうっすら薄い藍、という意味の甕覗(かめのぞき)よりも、さらにはかなげな淡い青の匂(におい)。
かすかに紫を帯びているので、甕覗と言うよりは、紅掛空色(べにかけそらいろ)でしょうか。
「匂」は、濃い色から薄い色へのぼかしのことです。
開きかけた花弁の縁をほんのり紅に染めて、恥じらうような風情、なんとも言いがたし。銘「初恋」としてみました。
誰に見しょとて紅鉄漿(べにかね)つきょぞ。みんな主への心中(しんじゅ)立て。
鉄漿はお歯黒。紅と鉄漿、お歯黒ですから、お化粧のこと。
恋の手習い、つい見習いて。歌舞伎舞踊でもおなじみの長唄『京鹿子娘道成寺』の一節を思い浮かばせる可憐な花でした。
薄色の額紫陽花(がくあじさい)。額紫陽花は周囲の装飾花だけが大きく開きます。こちらは八重咲き。銘「夢見る乙女」など、いかがでしょう。額紫陽花は紫陽花の原種だそうな。
薄色は浅紫のことを言います。「すべて、なにもなにも、紫なるものは、めでたくこそあれ。花も、糸も、紙も」と言い切ったのは清少納言でした。
同じ株の額紫陽花、こちらは少し青みの退紅(たいこう)。どちらもロマンティックな彩りですね。
ふた色に染め分けられた色彩が空の色に映えて、立ち止まって愛でずにはいられない愛らしさでした。
紫陽花の淡く柔らかな色合いも、日毎に深みを増しています。梅雨の季節も間近ですね。
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まぶしい陽射しの中、立葵(たちあおい)がぐんぐん背を伸ばしています。
夏を待ちきれずに開いた花の、このみずみずしさはどうでしょう。陽の光を浴びて、鮮やかな夏の彩りに輝いています。ぜひともクリックなさって、大きな画像でご覧くださいませ。
こちらは額紫陽花(がくあじさい)でしょうか。固いつぶつぶのつぼみが愛らしいですね。
そして紫陽花。ゆるみ始めた蕾のふちがほんのり薄紅色に色づいて、なんと可憐なこと。
以上の写真は、本日昼下り、雪谷まで歩いた途中の環八沿いで撮影。
ガードレールを囲むわずかな土に根を張って、ひたむきに花を咲かせる、どれもけな気ないとおしい命です。
空も木も花も、少しずつ夏の色に染まっているのですね。
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薄曇の空、湿り気を帯びた空気に藤の花の甘い香りがたちこめています。
藤の薄紫、山吹の黄、躑躅(つつじ)や石楠花(しゃくなげ)の紅の濃き淡き、草木の萌葱が、しっとりと煙ったような空の色に色鮮やかに映えて、逝く春を惜しむ心を誘います。
都会にあらずば、そろそろほととぎすの声を懐かしむ頃でしょうか。
百花繚乱のこの季節、百花の女王、富貴草の異名を持つ牡丹は艶やかな美しさですが、牡丹に似た八重咲きの芍薬の、重なる花弁の縁がほんのり淡紅に染まった佇まいには、かつては自らの「おしるしの花」としていた花だけに、格別に心惹かれます。
「おしるしの花」は丹生谷流の風雅なる言葉遊び。社中では門下生ひとりひとりに、それぞれのおしるしの花を決めております。
この遊びについては、拙著『あなたが花になる美しい日本語』、第三章「言葉の宝石箱」、『美しい人の美しい手紙
』、第五章「心をこめる、手紙のおしゃれ」でも触れておりますので、ご覧くださいませ。
皇室の方々はそれぞれのお身の回りのお品物につける印章、「おしるし」をお持ちでいらっしゃいます。一般の家紋に代わるものですね。
天皇陛下は鳳凰の棲むといわれる格調高い木、桐の別名である榮(えい)がおしるし。皇太子殿下は梓。かつては弓にも版木にも、また手紙を結んで運ぶことにも使われていた木ですから、文武両道の木とも言えましょうか。
美智子様は白樺、雅子様は浜茄子、紀子様は檜扇菖蒲。おしるしには木や花、植物が選ばれます。
この「おしるし」になぞらえて、ご自分の持ち物のすべて、例えばペンケースや手帳から机や椅子の家具に至るまで、家紋に代わる花の印章、「おしるしの花」をつけると想像してください。さてどんな花がふさわしいでしょう。
花にそれぞれの美しさがあるように、人にもまたそれぞれに美しさがあります。
好きな花を選ぶのではなく、人がおしるしの花を見ただけで「あの方のものね」とわかるような、あなたらしい、でもちょっとだけ背伸びをした花をお選びくださいませ。
これまでに「あなたって○○の花みたい」と言われたことがおありでしたら、その花をおしるしになさってはいかが。
丹生谷が考案した遊びですので、約束ごとも丹生谷の一存にて好き放題に決めております。
お約束その一、四十代後半までは草の花とし、木の花は不惑を過ぎてから。木の花は、丹生谷の感覚では草の花よりも格が上なのです。勢いばかりの年齢にはふさわしくない大人の趣きがありませんか。
木の花の中でも薔薇や山吹の灌木系は、三十代後半で許される場合もあり。この辺りはその方の個性や雰囲気によりますね。
お約束その二、ラナンキュラスやカンパニュラといった舌がもつれそうな名前の西洋花は、「どうしてもこの花でなくては」という必然性のない限りは避けたいところ。これも個性や雰囲気次第ですが、まずは和花から探すのがよろしいかと。
この言葉遊びで、皇室の方々に丹生谷が独断でお選びしたおしるしの花。美智子様には白梅、雅子様は紅薔薇、紀子様は撫子。香淳皇太后様は桃の花のような方でいらっしゃいました。
丹生谷は五十路を迎えて以来、淡紅色の縁どりの白い芍薬を卒業して、申しあげるのもいとおこがましきことなれど、白木蓮を我がおしるしとしております。還暦も近くあれば、多少の厚顔ぶりは許されたし。
おしるしの花にふさわしい自分でありたい。そう思うと、浅ましい考えや行動は慎みたくもなろうというもの。
春、桜に先駆けて白木蓮が象牙色の花を天に向かって咲かせる姿を目にするたび、自分もまた背すじを伸ばして、信じることのためにまっすぐな心でいたい、と志を新たにしております。志ばかりは春ごとに膨らんでいるのですが。
木に咲く蓮のように清雅なる姿が、楽の音を奏でながら宙を舞う飛天を思わせる木蓮。洗練された気品ある佇まいに憧れます。
羅(うすもの)や人悲します恋をして 真砂女
で知られる俳人の鈴木真砂女さんは、自らを紫木蓮に譬えていらっしゃいました。
戒名は真砂女でよろし紫木蓮 真砂女
紫木蓮の艶やかさそのままでいらした真砂女さん。墓碑に刻ませた句の通り、九十六歳の春、紫木蓮の咲く頃に亡くなられました。
願はくば花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 西行法師
と詠った西行法師も然り。自らが願った通り、好きな花が咲く中で最期を迎えることが叶うとは、なんという福果でしょう。
白木蓮は辛夷(こぶし)と見分けがつかない、という方がいらっしゃいますが、よくご覧いただければ、辛夷は田園風景が似合う天真爛漫な花。しっとりと咲く木蓮とは趣きが異なります。
桜はもちろんのこと、花海棠、藤、牡丹、と好きな花は数多(あまた)あれど、木蓮と芍薬は我がおしるしの花ゆえ、見つめる眼差しから柔らかく、優しくなるようです。
花の季節ですもの、お休みの日には、花の図鑑を紐解くなどして、あなただけの「おしるしの花」をみつけてくださいませ。
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東側の窓がほの明るくなる頃。小鳥のさえずりならぬ「春への憧れ」、歌姫の澄んだ歌声で目覚め、「夜来風雨の声、花落つること知りぬ多少ぞ」と呟く朝が続きます。心落ち着かぬ春でございます。
「夜来風雨声」は周知の如く、孟浩然の五言絶句より。
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
「花落知多少」を丹生谷は「花落つること知りぬ多少(いかほど)ぞ」と読みくだすべく学んだものと記憶しておりますが、「花落つること多少を知る」を正しいとするご意見もあるようです。
風と雨に加えてこの寒さ。今朝は窓ガラスが結露しておりました。都心ではみぞれが降ったそうな。
凍えても、吹かれても、やがては散るからこそ気にかかる桜です。
散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき
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宵の内から早くも中天に昇る十日ばかりの月を見上げつつ、地元、多摩川台公園の夜桜を視察に。
亀甲山古墳側広場、二分から三分咲き。北側はまだまだこれから。週末から来週一杯が見頃となる模様。
と浮き立つ心を抑えて、クールに書いてみたけれど。
大気に満ちた甘酸っぱい春の匂い。枝という枝に歓びを噴き出す桜の生命の勢いのいとおしさ。ふわふわと柔らかな花越しに眺める月の清らなること。
陽が落ちて久しいのに、寝る間を惜しむ小鳥たちの歌声が聞こえてきます。
花になって咲き出したいような春です。
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薄曇の今日。
駅からの道を、家々の庭に咲き始めた桜を確かめながら帰宅すると、郵便受けにきれいな和紙の封筒がありました。
見慣れたなめらかな字は、門下生、図書頭(ずしょのかみ)殿の御手。
「入院していた父が一度病院を脱走したことがあります。
桜の季節でした。
父は虎ノ門病院を抜け、千鳥が淵の桜を観に行ったのでした。
それが父にとって最後の桜になりました。
以来、私はこの季節には毎年皇居のあたりを歩きます。
さまざまのこと思ひだす桜かな
芭蕉はうまいことを言います。」
ああ、そうだった。亡くなった父も、よく国立がんセンター病院を抜け出していたっけ。
脱出しては、銀座の虎屋でお汁粉を食べていた。
……。
さまざまのこと思ひだす桜かな
本人の名誉のために書き添えておきますと、父は花鳥風月を愛し、風雅を解する人でもありました。
野鳥が好きで、庭に餌を置き、ヒヨドリやらメジロやらオナガやらがやってきて餌をついばむ姿を観察し、近くの宝来公園まで散歩しては、池の水鳥を眺めておりました。
水鳥も愛らしいのですが、丹生谷が個人的に観察したいのはおおどりーかしら。はずしてごめんなさい。
実家から通りを隔てた向こうは多摩川台公園、五世紀前半築造の古墳群で知られる大きな公園です。
この公園は桜も見事、花の季節には、通りを隔てて我が家の庭まではらはらと花びらが舞い散ります。
庭にも大きな桜の樹があって、春風に、静心なく花の散るらん、庭中が『金閣寺』雪姫の舞台さながら、桜、さくら、サクラ、の薄紅色に染まります。
公園の見晴台広場から、今は昔、芽吹きの季節に父と観た富士山は、遠く霞んで、美しい姿でした。
さまざまのこと思ひだす桜かな 芭蕉
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18日だなんてあせらせておいて、23日に修正したり。暖冬の挙句がこの風の冷たさ。気になる桜の開花状況は、こちらをご覧くださいませ。
靖国神社の桜は今日、咲き始めたそうです。
世の中にたへて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平
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我がいじらしくも狭き庭の片隅に、昨年来鉢のままほおってあったレンテンローズが、春先から、葡萄酒を薄めたようなやさしい色の花を次々に咲かせています。まことにけなげなり、と玄関先に昇格いたしました。
このレンテンローズ、世にはクリスマスローズと呼ばれているのが、丹生谷にはどうにも解せない。
クリスマスローズと形状はそっくりではありますが、今の時期、即ち四旬節(lent)の期間に咲くのはレンテン(lenten)ローズです。
四旬節とはキリスト教の灰の水曜日から復活祭までの40日間のこと。キリストの受難を偲んで、謹んで過ごします。
四旬節が明け、復活祭を迎える歓びを、花の咲き乱れる春を迎える歓びに重ねているのですね。
春を待ちきれずひっそりと咲く花ですのに、クリスマスと呼ぶことに誰も疑問を感じないのかしら、とかねてより腑に落ちずにおります。
クリスマスローズはレンテンローズより背が低く小ぶりで、冬、クリスマス時期に白い花を咲かせます。
花の名前のひとつひとつにも謂れがあります。名前を知ると、いとおしさが増しませんか。
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春の嵐が過ぎ去って、陽の光も風もふんわりと柔らかい今日。ご近所の木蓮は一斉につぼみを開いています。
梅の香りが沈丁花に替わり、やがて辛夷(こぶし)や木蓮が固いつぼみをほどくと、いよいよ桜のひとり舞台。
その桜が散り始める頃には、椿、藤、牡丹、山吹、海棠、蘇芳、石楠花(しゃくなげ)、躑躅(つつじ)、と花の輪舞が始まります。続いて、芍薬、菖蒲、梔子(くちなし)、紫陽花。花の名前を数え上げるだけでわくわくいたします。
花の季節は心が前のめり、梅の咲き出す頃から、はやる心をいったいどう抑えたものやら。
春は前のめりの丹生谷ですが、お雛様に関してはかなりのんびり。おっとりと旧暦の上巳の節句まで、飽かず眺めて愉しむ予定です。
今年の弥生3日は4月中旬過ぎ。桃の花がすっかり散り終わってしまうまで、愉しめそうです。
今日は啓蟄。虫たちも目覚める春です。
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吹き荒れる北風に、如月の始めに画像でご紹介した我が庵の紅梅はすでに見る影とてなし。
咲き初めた沈丁花も、哀れ、打ち震える今日の寒さです。
沈香(香木)の香りを持ち、丁子(クローブ)に似た花を咲かせることから名づけられた「沈丁花」の英名はDaphne。
月桂樹とは、そもそも目(もく)からして違う植物。異目、異科、異属、異種なのに、アポロンの求愛を拒んで月桂樹に姿を変えた美しいダフネの名前で呼ばれるのは不思議なこと。清らかな香りをダフネに見立てたのでしょうか。
そして右、ティエポロ画、『アポロンとダフネ』です。
冷たい風に凍えながら春の香りを漂わせる沈丁花の可憐さを思い浮かべて、ご鑑賞くださいませ。
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臘梅と水仙がむせぶほどに香る中、うっとりと酔うようにパソコンに向かっております。
臘梅は昨日、門下生の淡紫の君より、たっぷりと抱えきれぬほどに賜わりしを、ふたつの大きな花瓶に分けて入れ、余った小振りの枝数本をこちらの梅瓶(めいぴん)に。
どちらも臘月の、ぴ、と張り詰めた冷たい空気に似つかわしい澄み切った香り。
窓の外では侘び助が咲き初(そ)めております。拙著『たて書きの手紙
』、見開きの写真で、文机に飾られておりますのは、この侘び助です。金を含んだ乳白色のガラスの花入れは、市川団十郎丈襲名の折のお配り物であったとか。三舛の紋が入っております。
年の暮れも近づいてまいりました。
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柔らかな風が金木犀の甘い香りを運んできます。
雲のたなびく青い空を背景に、薄がきらきらと金色の穂を揺らしています。
秋ですね。
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青磁の掛花入に竜胆。
かなり唐突ですが廊下の壁に飾ってみました。
お玄関には両手にいっぱい、抱えきれないほどの百合、マルコポーロを、細長い瓜のような形をした青白磁の花瓶に。「うりんぼう」などと似つかわしくない銘で呼んでいるこの花瓶は、以前、我が尊師、川瀬敏郎先生にお譲りいただいたものです。
「うりんぼう」はどちらの方言かは知らねど、生まれたばかりの仔猪(いのしし)のこと。ころころおでぶのちび猪は、縞々があって、瓜に似ているから。
よく見れば、写真の青磁掛花入も縞々こそないけれど、ころころちびのうりんぼうみたい。まるまる太って、なんとまぁ愛らしいこと。
食卓には小ぶりの向日葵を、アンティークのヴェネチアンガラスの花瓶に。こちらもあふれんばかりに。
蒸し暑い夏は、花も息苦しそうに喘いでいるようです。つい長持ちするお花ばかりを選んでいたりして。
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花発(ひら)けば風雨多し。人生別離足る。 于武陵
昼下がり、ようやく雨がやんだのを機に、駒沢公園までお散歩に。雨上がりは空気が清々しく透き通って、心まで晴れやかになります。
かのカントは散歩しながら思索に耽るのを日課にしていたそうですが、あれこれ思い巡らすには、家にじっとしているより、ひたすら散策がいいみたい。
我が庵から駒沢公園まで、片道約8キロくらいの道のりでしょうか。住宅街を歩きながら、百花繚乱のみずみずしいこの季節を満喫いたしました。
カメラを持たぬ、というよりは忘れた今日の散策ゆえ、途中見かけた花木を覚えている順に。染井吉野はあらかた終わり、葉桜となりつつあり。今を盛りと咲き競っていたのは、花海棠、蘇芳、紫木蓮、辛夷、山吹、八重桜、三椏、土佐水木、枳殻、金雀児。日当たりのよいところでは花水木も、すでに花を開いていました。
駒沢公園ではやはり桜。
夜来風雨の声、花落つること知んぬ多少ぞ。 孟浩然
と案じていたけれど、淡い紅色が末期のはかなさ。花びらをはらはらと散らしながら、有終の美を飾っておりました。
もうすぐ藤や牡丹、躑躅や石楠花、薔薇も咲きだす頃。みずみずしい命の勢いにあふれたこの季節。会社や家でくすぶってばかりいてはもったいない。
満月の夜というのに空は雲で覆われているけれど、空気は澄み切って気持ちがいい。夜の散策、いかがでしょう。
昨夜は和歌三昧、今宵は漢詩に突入の丹生谷でした。
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「庭」と呼ぶ以外にどう呼んだものかわからないがゆえに、いたしかたなく「庭」と呼んでいるような我が庵の小さな小さな地面でも、生い茂る雑草との果てしなき戦いの季節がそろそろ始まります。
今朝は早起きして「雑草にもそれぞれ言い分はあろうが」と呟きながら、許しを請いながらの草取り。すると、すると!
あな嬉し、庭の片隅で、華鬘草(けまんそう)がすでにつぼみをつけているではありませんか。さてもいとおしきこと。
こちらはアップ画像でございます。
ご一緒に愛でてやってくださいまし。
こちらは春蘭。同じく片隅でひっそりと清楚な花を咲かせておりました。十数年前に吉野山の露店で購入した苗を鉢で育てておりましたが、六年前、この庵に移り住みし折、土に植えてからというもの、春ごとに可憐な姿で丹生谷を歓ばせてくれます。![]()
冬の間、お手入れもせずにほおっておいたのに、こんなに美しい花やつぼみで、命の限りを尽くして報いてくれるなんて。花のけなげさ、心に沁みました。
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君ならで誰にか見せん 梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る
紀友則
梅の花を愛でんと駒沢公園へ。
風が運ぶ香りの誘うに任せ、たどりつけば、紅も白も薄紅色も、どれも満開。
咲き競う花を、まずはご覧くださいませ。
左は白の枝垂れ梅。見事です。
こちらは海棠。よく見ると小さなつぼみをつけています。画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。
冬の間眠っていた木々は、春、大地から命の水をとくとくと吸い上げて、枝という枝の先まで命の力をみなぎらせています。
桜も欅も銀杏も、吹き出す命の勢いで、梢にふんわりと柔らかな薄紅色のもやがかかったようでした。
山茱萸
。白梅。 そして紅梅。こともなげに咲く花の、げに可憐にして妖艶なること。造物主は偉大なる哉。
最後におまけ、ご近所で発見した椎の実です。ころころとなんとも愛くるしいではありませんか。
春の歓び、あなたならで誰にお伝えしましょうぞ。
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お玄関には、お庭に咲いた侘び助の開花とつぼみを取り混ぜて、黄色い沖縄ガラスのきらきらと光る花入からこぼれんばかりに。
食卓には、固いつぼみを解いたチューリップと小さなつぼみをいっぱいにつけた雪柳を、雪解けの水を湛えたようなボヘミアングラスのシャンパンクーラーに。
お部屋の隅には、のどやかな曲線が美しい、薄紅色のアンティークのベネチアンガラスの花入に、淡いピーチピンクのスイートピーをふんだんに盛り入れて。
そして床と見立てている飾り棚には、青磁の杯洗に清げに香る水仙をすっきりと立てて。
こうして春の花に囲まれていると、どこからか春の足音が聞こえてきそう。歩き始めたみぃちゃんさながらに春が待ち遠しい丹生谷です。
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