言祝ぎ
天地を袋に縫ひて幸ひを入れて持たれば思ふことなし
新玉の年の初めの御言祝ぎを申し上げます。
平成二十一年己丑の歳が、皆様おひとりおひとりにとって幸多き一年となりますようにと、心からお祈りいたしております。
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天地を袋に縫ひて幸ひを入れて持たれば思ふことなし
新玉の年の初めの御言祝ぎを申し上げます。
平成二十一年己丑の歳が、皆様おひとりおひとりにとって幸多き一年となりますようにと、心からお祈りいたしております。
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窓近き竹の葉すさぶ風の音に
いとどみじかきうたたねの夢
式子内親王
おのづから涼しくもあるか夏衣
ひもゆふぐれの雨のなごりに
藤原清輔
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夜来風雨の声。雨が降っても風が吹いても、桜のことが気にかかります。
でも。
雨よ降るな、風よ吹くな、と祈るのは人の心。
桜は、冬の間じっとたくわえていた命の力を
思い切り花と咲かせ、惜しみなく散るばかり。
潔く咲いて、潔く散っていく。
散ればこそいとど桜はめでたけれ
うき世になにか久しかるべき 在原業平
花発(ひら)けば風雨多し
人生別離足る 于武陵
花に嵐のたとえもあるさ
さよならこそが人生だ 井伏鱒二訳
まだ咲きはせぬか、と待ちわびて、
咲けば咲いたで、どうぞ散ってはくださいますな、と。
人の心は落ち着かぬ花の季節でございます。
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旧暦如月の十日。春めいてきたとはいえ、夜風はまだまだ冷とうございます。
今は昔、二月もつごもりというのに、肌を刺す風が吹いて、空は雲に覆われ、雪が少し降っていた日のこと。
「公任の宰相殿から」と、主殿寮の役人が手紙を持ってまいりました。
公任様と言えば、抜群の詩才と教養で知られている殿上人。何かしら、とおそるおそる開いてみると、懐紙に見事な筆で
少し春ある心地こそすれ
とあります。
春が少しだけある心地がする
唐の詩人、白楽天の詩
三時雲冷やかにして多く雪を飛ばす
二月山寒うして春有ること少なし
を踏まえているのですね。まるで今日の光景そのままではありませんか。
連歌を詠みかけて、上の句を詠み返せよ、という趣向です。言葉遊びは得意分野ではあるけれど、公任様に試されるなんて、正直、ちょっと荷が重い。
公任様のほかにはどなたがいらっしゃったかと使者に問えば、名だたるお歴々ばかりがお揃いのごようす。
相手が相手だけに、通り一遍の下手な返歌ではすまされません。定子様にお伺いしようにも、帝がおわたりあそばされ、例の如くお二人で睦まじくご寝所におこもりでいらっしゃる。
あくまでも遊びなのですから、下手に時が経っては興醒めです。えーい、なるようになれだわ。
空寒み花にまがえて散る雪に
これでどうかしら。寒さにかじかんで震える手で書いてはみたけれど、どう評価されるものか、どきどき。
寒空から花が散るようにはらはらと散る雪に
短い上の句に、白氏文集が出典だということも「心得ております」とさりげなく匂わせた上で、なおかつ、散る雪を白い花に見立てることで、「少し春」に落とし込む。なかなかどうして、我ながら、即興としては絶妙のできばえ。こういう知的遊戯って、刺激的で、わくわくいたします。
内心かなりの自信があるものの、とにかく相手はかの公任様ほか、教養あふれる殿上人の方々でいらっしゃる。
結果は、ご想像の通り。殿上人の間で大評判だったようです。さしたことでもございませんけれど。
空寒み花にまがえて散る雪に
少し春ある心地こそすれ寒空から花が散るようにはらはらと散る雪に
春が少しだけある心地がする
白梅のような雪が散っていたあの朝、千年の隔たりも昨日のことのように覚えたものですから。
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「のちほど」とあっさり書いたあの日から、光陰はただ過ぎに過ぎ。
あの日はつい昨日のようでもあり、はるか昔のようでもあり。
与謝野晶子は
きのふをば千とせの前の世とも思ひ
御手なほ肩に有りとも思ふ
なぁんて詠んでおられます。
うーん、さすがです。恋する女心を歌わせたら、一に和泉式部、二三は不在、四に与謝野晶子。
なまめかしき女心が歌になってあふれ出る恋愛歌人体質、まことに羨ましゅうございます。
ま、与謝野晶子も和泉式部も今夕の本題ではございません。
昨日のことか昔のことか、アインシュタインの相対性原理に光速不変の原理なんてものがあったように、かすかに記憶しておりますが。
物理学はさっぱり、ですので、これもさっと流していただいて。
そうそう、藤原公任卿でした。
公任様は道長様と曾祖父を同じくする遠縁同士。
「懈怠者」「如泥人」と言われながら、闊達自在、勢いにあふれた書では右に出る者なし、丹生谷が憧れる佐理様、『小右記』に辛辣な道長批判を書き残した気骨の学識人、右大臣実資様は、お二方とも公任様と従兄弟同士のご関係でいらっしゃいます。
身は平成の世にありながら、魂は王朝の時代を彷徨う丹生谷は、上達部、殿上人の方々とは、もうほとんどご近所感覚のおつきあいをさせていただいております。
公任様と道長様は同じ年の生まれ。俗語では「タメ」と申します。為になる知識ではございません。
浮気夫への恨みつらみを綿々と書き連ねた『蜻蛉日記』の「夫」とは藤原兼家様のこと。道長様は、兼家様ともうひとりの妻、時姫様の末子であらせられます。長兄は、我が敬愛する定子中宮の父君、中関白、道隆様におわします。
教養深く、文芸に並外れた才能を持っていらした公任様のことを羨んで
「公任はあのように何ごとにも優れ、羨ましい。我が子らは公任の影だに踏めそうにないのは口惜しいことだ」
と嘆く父君、兼家様に、道隆様と道兼様、お二人の兄君は返す言葉もなくうなだれていたところ、若き道長様は
「影をば踏まで、面をやは踏まぬ」(影なんか踏まないで、面を踏んでやりましょうぞ)
と言ってのけたという逸話が、道長様を語る武勇伝のひとつとして『大鏡』にございます。
公任様は権力の道からはずれておしまいになり、正二位権大納言どまりでしたが、一方の道長様はかつての強気の言葉通り、のちに栄耀栄華を極められ、
この世をば我が世とぞ思ふ
望月の欠けたることもなしと思へば
と詠じられる勢い。あまりに尊大なる歌いっぷりに、「賢人右府」と呼ばれていた実資様が眉を顰められたのは、周知の如くでございます。
道長様が大井河逍遥の折、船を三艘ご用意あそばされ、一艘には和歌、次の一艘には漢詩、最後の一艘には管弦、それぞれの道に優れた人を乗せて遊ぼうという趣向がございました。
そこに公任様がおいであそばされると、道長様は
「いったいどの船にお乗りいただいたものか」
とおっしゃったとの逸話が、これも『大鏡』にございますことから、「三船の誉れ」などと言い伝えられている次第でございます。
公任様は
をぐら山嵐の風の寒ければ
紅葉の錦着ぬ人ぞなき
と詠まれた後で
「漢詩の船に乗って、この和歌くらい巧い詩を詠んでいれば、もっと名を挙げたろうに。殿に褒められて、我ながらついつい調子に乗っちゃって」
とおっしゃったそうな。これまた『大鏡』に語られていることでございます。
影だに踏めないはずであった道長様に褒められて喜んでいるなんて、公任様ともあろうお方が、丹生谷としてはちょっと情けない。男子たるもの、権力におもねることなく、志と信念を持ってまっすぐ進んでいただきとう存じます。
なかなか本題に入りませんが、「少し春ある心地」から早ひと月余り、今は暮れなずむ春の空、どうかゆっくりとおつきあいくださいませ。
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空さむみ花にまがへて散る雪に
少し春ある心地こそすれ
今朝の空に思わず口をついて出たこの歌。清少納言と藤原公任の合作、と言えるでしょうか。
藤原公任と言えば、「三船の誉れ」などと称えられ、当代一のインテリとして知られたお方。【和漢朗詠集】を編纂した方ですね。
続きを書きたくて心ははやれど、まもなく授業が始まりますゆえ、解説はのちほど。
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佐保姫様のおなりの道を清めんと、冬が最後の力を振り絞って、真っ白な雪を敷き詰めています。
こんな朝は、ご一緒に【古今和歌集】をひもとくなど、いかがでしょう。
梅の花それとも見えず
久方のあまぎる雪のなべて降れれば
「あまぎる」は「天霧る」。白梅なのか雪なのか、空を曇らせる雪が一面に降っているので、見分けがつかない。
柿本人麻呂の歌だと言う人あり、だそうです。
花の色は雪にまじりて見えずとも
香をだににほへ 人の知るべく
雪に紛れて、見ることは叶わずとも、せめて梅と知れるように、香りだけでも漂わせておくれ。
直情径行、野狂などと言われた歌人、小野篁の歌。
小野篁やら、在原業平やら、氷室京介やら。丹生谷は反骨の詩人に心惹かれる傾向あり。
梅の香の降りおける雪にまがひせば
たれかことごとくわきて折らまし
紀貫之。この方も、反骨の士と言えるかしら。
降リ積もる雪に香りまでが紛れてしまったら、だれが「これが梅」と枝を折ることができよう。
雪ふれば木毎に花ぞさきにける
いづれを梅とわきて折らまし
雪が降り、どの木にもまるで白い花が咲いたよう。どれを「梅」と知って、手折ればよいものやら。
「木毎(きごと)」で「梅」と洒落たのは紀友則。さすがは
久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
の作者だけあり。友則は貫之の従兄弟にあたります。
しんしんと降り積もる雪で白一色に覆われていく外界を、暖かい室内から窓ガラス越しに愛でつつ、悪疫退散、招福万来を願い、和歌に親しむ。節分の過ごし方としては、まずまず極上の部類かと。
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暦の上では葉月十七日、立ち待ち月の今宵ですが、天文学上は今宵仰ぐ月こそ、満月。
月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど
大江千里
染み入るような秋の夜でございます。
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