言祝ぎ
天地を袋に縫ひて幸ひを入れて持たれば思ふことなし
新玉の年の初めの御言祝ぎを申し上げます。
平成二十一年己丑の歳が、皆様おひとりおひとりにとって幸多き一年となりますようにと、心からお祈りいたしております。
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天地を袋に縫ひて幸ひを入れて持たれば思ふことなし
新玉の年の初めの御言祝ぎを申し上げます。
平成二十一年己丑の歳が、皆様おひとりおひとりにとって幸多き一年となりますようにと、心からお祈りいたしております。
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窓近き竹の葉すさぶ風の音に
いとどみじかきうたたねの夢
式子内親王
おのづから涼しくもあるか夏衣
ひもゆふぐれの雨のなごりに
藤原清輔
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夜来風雨の声。雨が降っても風が吹いても、桜のことが気にかかります。
でも。
雨よ降るな、風よ吹くな、と祈るのは人の心。
桜は、冬の間じっとたくわえていた命の力を
思い切り花と咲かせ、惜しみなく散るばかり。
潔く咲いて、潔く散っていく。
散ればこそいとど桜はめでたけれ
うき世になにか久しかるべき 在原業平
花発(ひら)けば風雨多し
人生別離足る 于武陵
花に嵐のたとえもあるさ
さよならこそが人生だ 井伏鱒二訳
まだ咲きはせぬか、と待ちわびて、
咲けば咲いたで、どうぞ散ってはくださいますな、と。
人の心は落ち着かぬ花の季節でございます。
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旧暦如月の十日。春めいてきたとはいえ、夜風はまだまだ冷とうございます。
今は昔、二月もつごもりというのに、肌を刺す風が吹いて、空は雲に覆われ、雪が少し降っていた日のこと。
「公任の宰相殿から」と、主殿寮の役人が手紙を持ってまいりました。
公任様と言えば、抜群の詩才と教養で知られている殿上人。何かしら、とおそるおそる開いてみると、懐紙に見事な筆で
少し春ある心地こそすれ
とあります。
春が少しだけある心地がする
唐の詩人、白楽天の詩
三時雲冷やかにして多く雪を飛ばす
二月山寒うして春有ること少なし
を踏まえているのですね。まるで今日の光景そのままではありませんか。
連歌を詠みかけて、上の句を詠み返せよ、という趣向です。言葉遊びは得意分野ではあるけれど、公任様に試されるなんて、正直、ちょっと荷が重い。
公任様のほかにはどなたがいらっしゃったかと使者に問えば、名だたるお歴々ばかりがお揃いのごようす。
相手が相手だけに、通り一遍の下手な返歌ではすまされません。定子様にお伺いしようにも、帝がおわたりあそばされ、例の如くお二人で睦まじくご寝所におこもりでいらっしゃる。
あくまでも遊びなのですから、下手に時が経っては興醒めです。えーい、なるようになれだわ。
空寒み花にまがえて散る雪に
これでどうかしら。寒さにかじかんで震える手で書いてはみたけれど、どう評価されるものか、どきどき。
寒空から花が散るようにはらはらと散る雪に
短い上の句に、白氏文集が出典だということも「心得ております」とさりげなく匂わせた上で、なおかつ、散る雪を白い花に見立てることで、「少し春」に落とし込む。なかなかどうして、我ながら、即興としては絶妙のできばえ。こういう知的遊戯って、刺激的で、わくわくいたします。
内心かなりの自信があるものの、とにかく相手はかの公任様ほか、教養あふれる殿上人の方々でいらっしゃる。
結果は、ご想像の通り。殿上人の間で大評判だったようです。さしたことでもございませんけれど。
空寒み花にまがえて散る雪に
少し春ある心地こそすれ寒空から花が散るようにはらはらと散る雪に
春が少しだけある心地がする
白梅のような雪が散っていたあの朝、千年の隔たりも昨日のことのように覚えたものですから。
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「のちほど」とあっさり書いたあの日から、光陰はただ過ぎに過ぎ。
あの日はつい昨日のようでもあり、はるか昔のようでもあり。
与謝野晶子は
きのふをば千とせの前の世とも思ひ
御手なほ肩に有りとも思ふ
なぁんて詠んでおられます。
うーん、さすがです。恋する女心を歌わせたら、一に和泉式部、二三は不在、四に与謝野晶子。
なまめかしき女心が歌になってあふれ出る恋愛歌人体質、まことに羨ましゅうございます。
ま、与謝野晶子も和泉式部も今夕の本題ではございません。
昨日のことか昔のことか、アインシュタインの相対性原理に光速不変の原理なんてものがあったように、かすかに記憶しておりますが。
物理学はさっぱり、ですので、これもさっと流していただいて。
そうそう、藤原公任卿でした。
公任様は道長様と曾祖父を同じくする遠縁同士。
「懈怠者」「如泥人」と言われながら、闊達自在、勢いにあふれた書では右に出る者なし、丹生谷が憧れる佐理様、『小右記』に辛辣な道長批判を書き残した気骨の学識人、右大臣実資様は、お二方とも公任様と従兄弟同士のご関係でいらっしゃいます。
身は平成の世にありながら、魂は王朝の時代を彷徨う丹生谷は、上達部、殿上人の方々とは、もうほとんどご近所感覚のおつきあいをさせていただいております。
公任様と道長様は同じ年の生まれ。俗語では「タメ」と申します。為になる知識ではございません。
浮気夫への恨みつらみを綿々と書き連ねた『蜻蛉日記』の「夫」とは藤原兼家様のこと。道長様は、兼家様ともうひとりの妻、時姫様の末子であらせられます。長兄は、我が敬愛する定子中宮の父君、中関白、道隆様におわします。
教養深く、文芸に並外れた才能を持っていらした公任様のことを羨んで
「公任はあのように何ごとにも優れ、羨ましい。我が子らは公任の影だに踏めそうにないのは口惜しいことだ」
と嘆く父君、兼家様に、道隆様と道兼様、お二人の兄君は返す言葉もなくうなだれていたところ、若き道長様は
「影をば踏まで、面をやは踏まぬ」(影なんか踏まないで、面を踏んでやりましょうぞ)
と言ってのけたという逸話が、道長様を語る武勇伝のひとつとして『大鏡』にございます。
公任様は権力の道からはずれておしまいになり、正二位権大納言どまりでしたが、一方の道長様はかつての強気の言葉通り、のちに栄耀栄華を極められ、
この世をば我が世とぞ思ふ
望月の欠けたることもなしと思へば
と詠じられる勢い。あまりに尊大なる歌いっぷりに、「賢人右府」と呼ばれていた実資様が眉を顰められたのは、周知の如くでございます。
道長様が大井河逍遥の折、船を三艘ご用意あそばされ、一艘には和歌、次の一艘には漢詩、最後の一艘には管弦、それぞれの道に優れた人を乗せて遊ぼうという趣向がございました。
そこに公任様がおいであそばされると、道長様は
「いったいどの船にお乗りいただいたものか」
とおっしゃったとの逸話が、これも『大鏡』にございますことから、「三船の誉れ」などと言い伝えられている次第でございます。
公任様は
をぐら山嵐の風の寒ければ
紅葉の錦着ぬ人ぞなき
と詠まれた後で
「漢詩の船に乗って、この和歌くらい巧い詩を詠んでいれば、もっと名を挙げたろうに。殿に褒められて、我ながらついつい調子に乗っちゃって」
とおっしゃったそうな。これまた『大鏡』に語られていることでございます。
影だに踏めないはずであった道長様に褒められて喜んでいるなんて、公任様ともあろうお方が、丹生谷としてはちょっと情けない。男子たるもの、権力におもねることなく、志と信念を持ってまっすぐ進んでいただきとう存じます。
なかなか本題に入りませんが、「少し春ある心地」から早ひと月余り、今は暮れなずむ春の空、どうかゆっくりとおつきあいくださいませ。
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空さむみ花にまがへて散る雪に
少し春ある心地こそすれ
今朝の空に思わず口をついて出たこの歌。清少納言と藤原公任の合作、と言えるでしょうか。
藤原公任と言えば、「三船の誉れ」などと称えられ、当代一のインテリとして知られたお方。【和漢朗詠集】を編纂した方ですね。
続きを書きたくて心ははやれど、まもなく授業が始まりますゆえ、解説はのちほど。
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佐保姫様のおなりの道を清めんと、冬が最後の力を振り絞って、真っ白な雪を敷き詰めています。
こんな朝は、ご一緒に【古今和歌集】をひもとくなど、いかがでしょう。
梅の花それとも見えず
久方のあまぎる雪のなべて降れれば
「あまぎる」は「天霧る」。白梅なのか雪なのか、空を曇らせる雪が一面に降っているので、見分けがつかない。
柿本人麻呂の歌だと言う人あり、だそうです。
花の色は雪にまじりて見えずとも
香をだににほへ 人の知るべく
雪に紛れて、見ることは叶わずとも、せめて梅と知れるように、香りだけでも漂わせておくれ。
直情径行、野狂などと言われた歌人、小野篁の歌。
小野篁やら、在原業平やら、氷室京介やら。丹生谷は反骨の詩人に心惹かれる傾向あり。
梅の香の降りおける雪にまがひせば
たれかことごとくわきて折らまし
紀貫之。この方も、反骨の士と言えるかしら。
降リ積もる雪に香りまでが紛れてしまったら、だれが「これが梅」と枝を折ることができよう。
雪ふれば木毎に花ぞさきにける
いづれを梅とわきて折らまし
雪が降り、どの木にもまるで白い花が咲いたよう。どれを「梅」と知って、手折ればよいものやら。
「木毎(きごと)」で「梅」と洒落たのは紀友則。さすがは
久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
の作者だけあり。友則は貫之の従兄弟にあたります。
しんしんと降り積もる雪で白一色に覆われていく外界を、暖かい室内から窓ガラス越しに愛でつつ、悪疫退散、招福万来を願い、和歌に親しむ。節分の過ごし方としては、まずまず極上の部類かと。
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暦の上では葉月十七日、立ち待ち月の今宵ですが、天文学上は今宵仰ぐ月こそ、満月。
月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど
大江千里
染み入るような秋の夜でございます。
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今日九月九日は重陽の節供。
残暑厳しき中、せめて秋の趣きを感じたく、お玄関には竜胆、女郎花、吾亦紅の秋草をふんだんに。見立て床と称しております飾り棚には、義理堅く、黄色い菊を二輪、青磁の灰入に入れてみました。
どなたへの義理、って、重陽の節供、別名菊の節供ですから。
とっておきの伽羅を炷き、鶴田錦史丈の琵琶に耳を傾けておりますと、蒸し暑さはさておいて、秋の日らしく、琵琶ろんのため息が身に沁みます。ちょっと時期早尚のノヴェンバー・ステップス。
ひとりで愉しむには惜しい、伽羅を聞く、楽の音を聴く、と菊尽くしの趣向でございます。
秋の菊にほふかぎりはかざしてん
花よりさきと知らぬわが身を 紀貫之
なぁんて、ちょっと世を憂えてみたりして。
さて、お薄でも点てるといたしましょうか。
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秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行朝臣
おしなべて物をおもはぬ人にさえ 心をつくる秋のはつかぜ
西行法師
秋立つ今日。我が庵の近くでとんぼを見かけました。東京の空は雲ひとつなし。強い陽射しのもと、秋風とは思えない暑い風が吹いております。
夕刻には雷雨との予報あり。夜には涼しくなってくれるでしょうか。
蝉の大合唱に競って和歌など詠じ、秋の風を味わってくださいませ。
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新暦では、早、水無月も晦日(つごもり)。夏越の祓もせねばならぬと言うに。
ま、旧暦ではまだ皐月十六日。晦日どころか十六夜(いざよい)です。わざわざ新暦で心を急がせることもないか。
書きたいことは多々あれど、細切れの時間では、筆も進まず。キーボードのこと、筆と称しております、念のため。
今日のところは昨年の記事でお茶を濁すことでお許しのほど。お茶のお供には水無月、これはお約束ですね。
皆様、どうかつつがなく文月をお迎えくださいませ。
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雨上がり。しっとりと湿った風が、どこからか甘い香りを運んできます。梔子(くちなし)がつやつやとした象牙色の花を開いているのですね。
雨の季節の花は、彩りでは一に紫陽花。鉄線や菖蒲の紫も薄曇りの空に映えます。
香る花は一に梔子。橘もこの時期に香り高い花を咲かせますが、残念ながら、東京ではあまり見かけることがないようです。
帰り来ぬ昔をいまと思ひ寝の夢の枕に匂ふたちばな 式子内親王
過ぎた昔が帰るものなら、と思いつつ寝ると、昔のままの夢を見た。はっと目が覚めれば、夢はただの夢。枕辺に夢の残像のように、懐かしい橘の香りがうっすらと漂っている。
なんとも耽美的にして幽玄な一首。透き通るような美しさは、まさしく新古今和歌集の世界です。
あえかなため息のように、はかなく繊細な歌風が持ち味の式子内親王の和歌。数多く残された歌の中でも、丹生谷のお気に入りの一首です。
橘の香りはかつての恋人の「袖の香」なのです。古今和歌集の古歌、
さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人知らず
を前提にしていることは、申しあげるまでもありませんね。「花橘」の古歌は、本歌取りされることの多い歌です。
いつの世も、花の香りは心の糸を掻き立てるもののようです。
香りで遠くからもそれと知られる花は、春まだ浅き頃の梅、沈丁花、春を惜しむ頃には藤、初夏に咲く梔子、秋の金木犀。
どれも甘い花の香りですが、その甘さもそれぞれです。
梅は凛とした気品のある清々しい甘さ。
沈丁花は可愛らしい清純な甘さ。
藤はしっとり艶な風情の大人の色香。
梔子は思春期の少女のような甘ったるさ。
金木犀はすっきりと、透き通った香り。
雪柳の香りは、梅かと紛うほど梅によく似ていますが、梅ほど遠くまでは香りません。
薔薇や百合は室内ではむせぶまでに甘く香るのに、青空の下では、藤の花のように妖しいほどに広がらないのは不思議です。
雨上がりの濡れた空にたちこめる梔子の甘い、誘うような香り。雨の季節も、いとをかし、ではありませんか。
薄月夜花くちなしの匂ひけり 正岡子規
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人は片足だけで遠くまで跳ぶことはできません。右足、左足と交互に出すことで、少しずつ、でも確実に前に進むことができるのです。
知性と感性は、両の足。五感を通して素直に感じ、心に響くことを丁寧に読み解き、思いを言葉にしてみると、感じていたことが、より鮮やかに、きめ細やかに見えてきます。
右、左、とたゆまず進めていくことで、ようやく「教養」などと言う、おごそかにして遥かなるものに至る道を歩むことになるのではないでしょうか。
学びて思わざれば則ち罔(くら)し。
思いて学ばざれば則殆(あや)うし。諸橋轍次著『中国古典名言事典』より
と孔子ものたまわっておいでのことで。
之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
なんて、これも論語、孔子のお言葉です。
かのソクラテスも
彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、私は何も知りもしないが、知っているとも思っていない。
久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』より
なんてことをおっしゃっていらしたようで。賢人のお言葉は奥が深うございます。
知らないからこそ知りたい。学ぶことは、自分がいかに何も知らないかを自覚するところから始まるのですね。
教えることは、また学ぶことでもあります。
聞きかじっただけ、読んだだけの「うけうり指南」なら、誰にでもできること。
「自分にできること、自分にしかできないこと」をみつめ、我がこととして経験し、感じ、考え、学び、知り得たことを、わかりやすい言葉で伝え、知性と感性を片足ずつ進めていくようにお教えしたい。丹生谷の「教育方針」と申し上げては、ご大層な響きではございますが。
ちなみに「うけうり指南」は、小山観翁著『古典芸能うけうり指南』のタイトルから拝借。歌舞伎イヤホンガイドの解説者として、歌舞伎好きにはお馴染みの小山観翁氏は、江戸勘亭流書道の家元でもいらっしゃいます。著書も多数あり。
氾濫する情報を入手するもたやすくあれば、知的財産権やら著作権やらが云々されるほど、うけうりの知ったかぶりに陥りやすいご時世に、「うけうり指南」だなんて心にもないことを、さらりとおっしゃるところなんぞは、さすが、粋でいらっしゃいますこと。
古典芸能はさておき。古典文学のお話をしばし。
(画像は京都、風俗博物館より)
ひと度足を踏み入れれば、もはや引き返そうなど思いもよらぬこと、古典の面白さに夢中になること疑いなしの、丹生谷の【垣間見王朝文学】講座なのですが。
マニアック過ぎるせいかしら、これまでにこの講座を受けられた門下生の数は、片手で数えきって、なお指が余ります。
かような状況のもと、自画自賛の意図はさらさらあらねど、以下、手前味噌の広報活動と思し召されたら、ごめんあそばせ。
丹生谷の講座はどれも、真髄を解いて、本質に至る方程式を見出し、それを立体的にお見せする方式、よそではあり得ない、「自分にできること、自分にしかできないこと」を目指す丹生谷の生き方そのもの、とこれは門下生にはご納得いただけることのはずにて候えど。
始まったばかりの【垣間見王朝文学】新クラス、受講生はお二方なれど、今回の主題は『枕草子』とあって、自称前世清少納言の丹生谷としては、気合が入らない訳がない。
積み上げられた座右の書のひとつ、『枕草子』、こたびは「春はあけぼの」から、一語一語を丁寧に味わいながら、読み始めてみました。
いやはや、面白い。萩谷朴氏の校注、今さらながらまことに奥深い。
この方のしつこいまでの問題意識と緻密なる分析能力、卓越した論理的思考力、何よりも学識の豊かさ、幅の広さと奥の深さ。もう感佩(かんぱい)、感服、完璧。ここでもまた、さても羨ましきは明晰なる頭脳かと。
旧聞にておそれいりますが、橋本治氏が『桃尻語訳枕草子』の執筆にあたって、萩谷朴氏校注の『枕草子
』を底本としたことで、印税の一部を萩谷氏に支払われたという曰くつきの『枕草子』がこれ。「新潮日本古典文学集成」版です。両氏それぞれの「考えること」「書くこと」に向かう姿勢、あっぱれではありませんか。
ちなみに「あっぱれ」は「あはれ」を強調した語。「かっぽれ」とは無関係です。戯れ言なれば聞き流すべし。
『枕草子』を読み終えしのちは、参考文献として『大鏡』『栄花物語
』『紫式部日記
』を読み返し、さらに『類聚雑要抄指図巻
』の重い頁を繰り、おまけに『源氏物語 六条院の生活』など眺めておりましたら、いよいよ怪しくも物狂おしい気分に突入。
ちょっと垣間見のつもりが、右足左足どころか、頭のてっぺんまで、『枕草子』にどっぷり浸っているここ数日。
問われもせで講釈するは甚だ無粋な振る舞いなれど、【垣間見王朝文学】という講座名は、「真美流垣間見」という洒落を隠しておりまする。ここからしてマニアックかしら。
ややや、高島俊男氏のお言葉を『漢字と日本人』より引用するならば、平安女流文学並みに「牛のよだれのごとく」「だらだらと書きつらね」た文章になってしまいました。浸りきっている証と、どうぞお許しを。
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春が過ぎ、夏が来たのですね。
家中のカーテンを洗って干したら、抜ける風も透き通るよう。さらさらと降る雨の中、新緑の香りがたちこめています。
春過ぎて夏きにけらし白妙の衣干すてふ天の香具山 持統天皇
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節は五月にしく月はなし(『枕草子』第三六段)。
小さな瓶子(へいじ)に菖蒲を飾り、三方には粽をお供えして、と。今日五月五日は端午の節供、別名菖蒲の節供。
部屋の隅に薬玉など吊るし、邪気を祓って無病息災など願いたいところですが、薬玉、どう作ったものか難しい。菖蒲の葉は存外に硬くて、そうそうきれいに丸まってはくれません。かつてオアシスを使って作ってみたこともございますが、これもかなり苦労いたしました。
と思っていたら、現在も市販されている薬玉を発見。左下の画像です。伊勢貞丈が江戸半ばに解説している右下の図と同じ作りですね。室町以降の薬玉は、このように造花の躑躅で飾ったようです。
王朝華やかなりし昔には、菖蒲や蓬を丸くまるめて、五色の糸をたらしたものをつるし、悪鬼祓いとしていたようす。
枕草子に
中宮などには、縫殿より、「御薬玉」とて、色々の糸を組み下げて、まゐせたれば、御帳立てたる母屋の柱に、左右に付けたり。九月九日の菊を、あやしき生絹の絹に包みて、まゐらせたるを、同じ柱に結ひつけて月来ある薬玉に解きかへてぞ、棄つめる。また、薬玉は、菊のをりまであるべきにやあらむ。(新潮日本古典集成萩谷朴校注『枕草子』より)
とあるので、薬玉は重陽の節供に菊包みと交換するまで、柱に飾っておいたものらしい。
京都風俗博物館 のサイトより拝借した画像をご参照ください。
男の子のいらっしゃるご家庭でしたら、勇ましく兜も結構ですが、五節供のうちでも、清少納言ご推薦の五月の節ですもの、大人の女性としては、薬玉など飾って、気分を盛り上げてはいかがでしょう。
菖蒲、蓬などの薫りあひたる、いみじうをかし。
夕暮のほどに、郭公(ほととぎす)の名乗りてわたるも、すべていみじき。
明日は立夏です。
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お経を唱えるでもあるまいし、何やらのひとつ覚えと思し召されましょうが。
照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき 大江千里
今宵の月をごろうじられたし。
春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空 藤原定家
脳の中も芽吹きだしそうな春ですもの。
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照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき 大江千里
藤原某の六の君を真似て、声に出して詠ってみたい。ふんわりと煙るような空に、薄く浮かんだ今日の月。
大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月 藤原定家
雨上がりの柔らかな大気に、透き通るような梅の香りがたちこめています。
春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるゝ 凡河内躬恒
あ、梅かと思ったら、どこからか沈丁花が香っているのですね。
春というだけで心がときめきます。
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降り続いた雨も上がり、澄んだ空に白い雲がたなびいています。
今宵は中秋の名月。ご一緒に眺めることといたしましょう。
秋風にたなびく雲のたえまより もれ出づる月の影のさやけさ 藤原顕輔
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木の間より漏りくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり 詠み人知らず
厚い雲に覆われた今宵の空。昨夜の月が見事であっただけに、せめて雲間から月明かりが漏れてはいないかと、眺めてはみたけれど。
いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふことのかぎりなりける 詠み人知らず
明日も雨のようです。
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梅雨空がいつ晴れることやらと待ちあぐねてはいたけれど、晴れたら晴れたで、いやはや忍び難い暑さでございます。
昼下り、ざーっと夕立でもきてくれないかしら、とパソコンに向かいつつ、文机の前の窓越しに、空を見上げたりなどしております。
夕立の雲もとまらぬ夏の日の傾く山にひぐらしの声
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢
式子内親王
式子内親王と言えば、藤原定家撰「小倉百人一首」にもある
玉の緒よ絶えなばたえねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
がまず思い浮かびます。
「忍ぶる恋」の秘めた情熱も魅惑的ですが、夕立やうたたねの歌のような、いかにも新古今集的耽美の世界、いまにも壊れそうなガラス細工の如き、はかなさと透明感のある歌も、この方らしく、心惹かれます。
歌の奥深くに漂う、静かな哀しみ。どの歌にもやるせない倦怠感が漂っていませんか。
気だるい昼下り、冷やした梅のささなどいただきながら、新古今和歌集でも紐解いて、式子内親王の世界に、どっぷり身を沈めっぱなしで過ごしたいところですが。
冷たいお抹茶でお茶を濁しております。
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その宵を待つもすべなし鵲の橋も渡らぬ通ひ路もがな 和泉式部
星合の宵、彦星と織姫が会えるようにと、鵲(かささぎ)が翼を並べて天の川に橋を渡すと言うけれど。鵲の橋も渡らない通い路では、お待ちしても空しいこと。
明日は星祭。和歌など口ずさんで、ロマンティックな夜をお過ごしくださいませ。
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